患者さんの話を聴けるようになった
昨日の「大阪・明鏡塾」は、一歩抜け出した初参加の柔整師が出た。 これは、ある意味であり得ないことだ。
彼は、2期1回しか講座を受けていないのだ。 再受講の末に、ではなく、1回受けただけだ。 つまり、宿題も含めて、ワークでやった事を全部患者さんに試していったのだろうとしか言いようがない。
「明鏡塾」で展開しているワークは「出来る」を目指しているのではない。 だから、方法を並べてはいない。 自分の力を出す、自分が本当に物事に向かう姿勢を出す、という、自分への追い込みが基本になっているからだ。 自分を追い込む方法はない。 どんな目的を持ち、それが本気かどうか、唯一それだけだ。
そこだけを言えば、現代人のもっとも苦手なことだ。 目先の方法を短時間で教えて貰い、それで満足したり、それを沢山手に入れる、それが風潮だからである。 その波に押し流されている殆どの人達の中で、「それは違うだろう」と感じている、あるいは、本気で患者さんや利用者さんを楽にして上げたいと思う人しか受講しない「明鏡塾」だ。 つまり、巷にはないワークで、いきなり「自分自身に大手をかけ、それを実行した」結果、完全に「先ほどまでの自分」を超えてしまったのだ。
懇親会で、先輩も含め彼に質問がとんだ。 「〇〇さん、何をどうしたのか?」だ。 彼曰く「とにかく、聴くを徹底しました」だから、皆にはヒントにならないので大笑い。 そう、「明鏡塾」のワークにヒントとはない。 それは、「そのもの」だからであり、例えば自分自身が本気で「聴きたい・聴いてやろう」にならなければ、そうはならないのだ。 当たり前のことだ。
「聴くためにどうすれば?」一般的には、こんなバカな質問が飛ぶ。
「聴くは聴くや」それしかないのだ。
懇親会では、彼の好奇心の強さや、自分の技術の検証等々が披露され、今回の一瞬で顔つきが良くなった理由がよく分かった。
大阪2期で初めて稽古をした「触れる」を、臨床でどんどん試すことで、本当に身体のバランスをはじめ、様々な良い変化が起こる。 そのことが嬉しくなり興味を持ち繰り返す中で「触れる」が、臨床での核だということを実感しているので、どんどん探求しようと思う、と彼は言う。
そんな人が出ると、当然、彼に触発された人もいる。 大阪1期から再受講している柔整師のおっちゃんだ。 彼も試行錯誤の末、終了間際に一歩抜け出た。
撮られた写真を見て、
「おっ、私男前ですね!」 と一言。
そうなのだ。 「ちゃんと聴く」「ちゃんと届ける」という道に入ると、目が生きてくる。 そうすると、自動的に人相が良いの方向に変化するのだ。 「そうや、だから前の顔を舐めた顔やったやろ」 大爆笑!
おもしろいぞ「大阪・明鏡塾」!! 体験は11月23時日(祝)